2011年7月7日木曜日

活力 ~まごころの力~


4日目

体育館で誰かと話している夢を見た。目を覚ますと体育館にいた。頭の中は、体育館のことでいっぱいらしい。


背中の重みが昨日より増している。液体金属でできた新型ターミネターが液体窒素をかぶってみるみる凍結していく、あの有名な映画のワンシーンを思い出してしまったほどに、体中の筋肉がばりばりしている。


どうせまた箱崎だろ。と、言われてしまいそうだが反論はしない。今日も同じ場所に行ったのは事実だから。それでも、昨日記したようにせめて、何かやったぜ、と自己満足できるような仕事をを終えてから帰りたい。それが箱崎の水路掃除なのだ。


さて、自覚している以上に疲れがたまっている。遠野から釜石箱崎までの約1時間半のバスの中、熟睡した。体力的にはむしろ歓迎したいほどの疲労感で心地よいのだが、精神的な疲労が蓄積されているようだ。繰り返すが、自覚はない。体育館での窮屈な生活、いろいろな人との出会い、非現実的な光景に毎日毎日直面しているからだろう。


一般的にボランティアには1〜2習慣程度のタームで参加するのが良いといわれている。遠野まごころネットへの参加登録の際もそのような注意書きを読んだ。なぜか。科学的にはいろいろと言えるのかもしれないが、今までの活動から考察してみると「代謝」が大切なのだといえる。


1、2ヶ月もずっと活動しているとボランティアも被災してしまう。津波によって壊された街や、傷ついた人の心に触れているとあまりに共感が深くなってしまうのだと思う。ボランティアは単なる労働力ではない。震災後の復興を支える「活力」なのだ。だから、慎ましく礼儀正しくも、ひたむきな明るさを持っていなければならない。それを保っていられる期間が1〜2週間ということのようだ。


ぼくはまだ、「活力」を持っている。疲れてはいるけれど。箱崎の水路をきれいにして、少しでも復興へつながる仕事をしたいと思っている。ちなみに「復興へつながる」とは水路をきれいにする、という実際的なことを意味していない。「部屋を掃除したら、ちょっと模様替えをしてみたくなる気持ち」を箱崎の人に届けることだ。自分の家や流された一階部分を建て直している人は少なくない。ただ、周囲は流された材木や鉄骨や腐った海産物でぐちゃぐちゃのままだ。見る度に気持ちが萎えてしまう。これが少しでも改善されれば、前向きに復興へ取り組む一つの活力になるはずだ。そうぼくは決めつけて、自分に言い聞かせて、体を酷使している。


ちなみに作業では、先が見え始めた。今日はようやくミニユンボ(小さいショベルカーみたいなやつ)が入り、今まで人力で持ち上げていた水路のふたを片っ端からあけてくれた。これで作業がはかどるぜ、と喜んでいてはいけない。ぼくたちは文句を言い続けなければならない。ぼくたちが活動する箱崎町の集落には重機がほとんど入っていない。日に2〜3台程度しか見たことがない。がれきを運び出すダンプカーさえ、数えるほどしか行き来していない。もうすぐ災後4ヵ月を迎えるというのに、ゆっくりとゆっくりとしか復興は進んでいない。反面、震災の風化は加速度的に進む。


忘れる前に、一度来てくれ。一緒にここから文句を言ってくれ。そんな声が、聞こえた気がした。

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