陸前高田の仮設住宅へ行った。
トヨタ・ハイエースに5人が乗り込み陸前高田市街地から少し離れた高台にある高田高校の仮設住宅を目指した。遠野の盆地から山間に伸びる国道を走る。この地域の山は、関東の山よりも傾斜が緩く見える。樹種も多い。林の年齢も複数階に分かれているようだ。遠野の林業は環境に恵まれている(少なくても生産と搬出に関して言えば)ように思えた。
国道を1時間強進むと、道路と平行に流れていた川の岸辺に乾いた泥が目立ちはじめた。視線をフロントガラスに移すと、窓の向こうにはセピア色の世界が広がっていた。
とにかく広いのだ。陸前高田市街地には建物がほとんど残っていないため、山間の道路から海まで見通せる。こんなに広い更地を日本で見たのは初めてだった。つまり、日本らしくない風景なのだ。流された車は形こそぐしゃぐしゃだが、一区画にきれいに並んでいた。地面からは乾いた肌色の土埃が舞い上がり、 その空間の中にうまく津波で壁と屋根と柱だけになったコンクリートのビルがとけ込んでいた。なんとなく、埃っぽい冬のチベット高原を彷彿させた。
被害は大きいが、復旧は進んでいる。重機やトラックの数は箱崎よりはるかに多い。家の残骸や車はほとんどまとめられつつある。この夏が終わるころにはもしかしたらここはきれいな更地になっているかもしれない。そう思った。
仮設住宅地でお茶会を開いた。高田高校グラウンドにある仮設住宅に到着しテントを立て、お茶やお菓子を準備したあと、呼びかけを行った。仮設住宅を一軒一軒ノックして回り、お茶会を開くことを伝えていった。好意的な受け答えをする人、疲れた表情で適当にあしらう人、反応は様々だった。
好意的に返事をしてくれた人はほとんどお茶会に来てくれた。ぼくらボランティアは「質問しないこと」を心がけた。お茶を出しお菓子を勧め、住民の世間話に相づちを打つ。たしかに現在の状況や震災当時の話など知りたいことはたくさんある。だが、同情したり震災を自分のものにするために聞いても意味がない。質問することで相手の負担にもなる。それはボランティアの仕事ではない。ぼくたちがお茶会を開く意味は、仮設住宅コミュニティーでの人と人とのつながりをつくることにある(と思う)。
初めて会う住民同士がお茶会で会話をして笑顔になって、また合ったときに会釈以上のあいさつができるようになってくれれば、それはお茶会の存在意義になる。集落が全て流され、住民同士をつないできた伝統的な行事や文化ができなくなっている。多様なイベントを開きこれを補完していくことがボランティアにできることの一つなのだ、とお茶をすすりながら談笑する住民の姿を見ていて感じた。
東日本大震災から4ヶ月がたった今日、7.11キャンドルナイトが遠野市福祉センター前にて行われた。黙祷や宮沢賢治の『雨ニモマケズ』の朗読がセレモニーの中にあった。ろうそくの火を見ながら心の中で「忘れるな」と、何度もくり返しつぶやいた。
当事者をはじめ、現場を見たボランティアたちはこれから闘わなくてはならない。風化という自然現象と。

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