2日目
目を開けると、薄暗い空間の先に高い天井が見えた。一瞬、ここはどこじゃ!とお決まりに狼狽してから、現実にもどった。そうだ、今日から本格的に作業が始まるのだと。
復興ボランティア初日。遠野の朝は涼しい。市民福祉センターの庭の石に腰掛け肌をさすりながら、朝食のパンをかじった。7時30分からセンター中央玄関前で朝礼が始まった。各行き先ごとに仕事内容と募集人数が紹介され、ボランティアは希望する場所へ参加する。
遠野まごころねっとの主な派遣先は陸前高田、大槌、釜石市箱崎だ。どこへ行こうか迷った。そこで、ふとずいぶん前に読んだ新聞記事を思い出した。震災後もしばらく道路が寸断され支援が遅れている地域がある。それが、今回初めてのボランティア参加地として選んだ釜石市箱崎町だ。
センター発のバスに乗り込み、遠野から沿岸へと伸びる山間の道路を進むこと約1時間。釜石駅に到着し、トイレ休憩をとる。「あれ、思ったより普通だ」と辺りを見回すと、駐車場とロータリーを隔てる鎖を吊した柱が一本折れ曲がっていた。もしかしてここまで来たのか、という疑念を抱きつつバスに戻った。数分後、釜石市街を走るバスの車窓に映る光景が、その疑念を打ち消した。
シャッター通り商店街。ではない。降りたシャッターはぐにゃりと変な方向に折れ曲がり、シャッターのない店はベニヤ板で入り口を塞がれているか、何もない入り口から裏にはまで見通せるほど、すっかり建物内の物は無くなっているかだった。
商店街を抜けると、ひん曲がった鉄骨やらタイヤやら木材やらブロックやらが無造作に積み上げられた人口の山や、赤い骨組みだけが残った建物が左右に並んでいた。目をつぶると、黒々とした濁流がまぶたに浮かんだ。
市外を抜けバスは山を上っていく。所々に、やはり商店街で見たような災害の痕跡が残っている。 車の突き刺さった小学校やえぐれた山の斜面や凸凹になった道路が次から次へと現れる。もうすぐ4ヵ月だよな。それでもまだ。それでもまだ。同じようなことをずっと反芻していた。
「壊滅」。この言葉を何度も新聞で呼んだし何度もテレビで聞いたけど、箱崎の様子を見てようやくしっくりきた。海の波の音とも、空を泳ぐとりの鳴き声とも、合わない光景が広がっていた。一階部分を流された家が数件山沿いに残っているのを除けば、あとは壊れている。何も無いわけではない。鉄骨も木材もあるし、家の基礎もある。そこに町があったことは明らかなのだ。だけど、生活の気配がない。
今日の作業である側溝の泥かきは、そういう光景を見たあとでは本当に本当に小さい作業でしかないように思えた。泥と油が混ざったような臭いを無視しながら水分を含んだ重たい泥をスコップで何度も何度もすくい上げた。汗は出るし服は汚れるし筋肉も痛み出す。1人の力ってなんて小さいのだろう、そう思った。それでも自己満足だけは得られる。今まで、遠目から眺めているだけだった震災の現場で、自分の無力を感じれるほど汗を流していることは、少なくとも東京にいてなにもできないもどかしさを打ち消してくれた。矛盾している。無力感が別の場所では無力感をうちけしているのだから。
なぜか、自分の生活やこれからのことでいっぱいいっぱいのはずの現地の方から差し入れや昼食をいただいた。無力感はますます無力感を呼ぶ。何もできてないのに、逆に何かをいただいている、と。作業とそんなもやもやを受け入れていた精神の疲れもあって、帰りのバスではよく眠れた。
この夜、遠野まごころねっとがどのように組織されていったのかについての話を聞いた。多くのNPOや団体がつながり、多くの個人ボランティアの受け皿となっているこの組織のキーワードは「緩い結束」。ある程度同じベクトルさえ持っていれば、あとは各々が自分の得意とする手段で、共通の目的をめざせばいい。そういうオープンなスタンスらしい。なるほど。おもしろい。これからの復興支援のあり方を導いてくれる、そんな理念に思えた。
遠野の夜の空気は冷たい。いくら星がきれいだからといって、庭の岩に腰掛けてこれを書くのはそろそろ終わりにしよう。明日のために、もう寝よう。
明日のために。

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