深夜0時過ぎ、羽田空港の出発ロビーや搭乗ゲートをぼんやりとした意識で歩く。この眠気にこの風景。先週とまったく同じだ。別の会社の入社試験で再び沖縄へ向かっていた。
今度は閉め出される前に自ら那覇空港の到着ロビーを出て、バス停の前のベンチで眠ることにした。未明のぬるくて湿った空気も、知らず知らずに蚊に刺されて増えていくかゆみスポットの数もも、背中を痛めるベンチの硬さも、先週と同じに感じた。沖縄にきた新鮮味はほとんどない。
海沿いの豪華なホテルの大広間で行われた試験ではうとうとしながらも回答用紙を埋めることができた。冷たい水や麦茶のサービスや長めの休憩時間、丁寧な説明など、先週受験した同業他社の会社よりぼくたちに対する気配りが細かかった。こういうちょっとしたところに、会社のカラーはにじみ出てくる。
試験を終え、那覇バスターミナルから名護東線に乗った。これが失敗だった。バスは客を乗せては、下ろしては、赤信号につかまっては、渋滞に巻き込まれては止まった。運転手がブレーキを踏むたびに、焦る気持ちが募っていった。せっかく来たのだからせめて飛行機代の元を取りたいと思い、去年の「OKINAWAx BASE」のときに行けなかった伊江島へ行くことにしていた。名護の北西にある本部港から伊江島へ向かうフェリーの最終便は17時30分で、それに間に合うかどうかぎりぎりの時間だったのだ。
名護バスターミナルに着いたときには、フェリーの最終便に接続できるバスはすでになくなっていた。宿はすでに予約してしまっていたし行くしかない!とあまり深く考えずにタクシーに乗り込み、本部港まで急いでほしいと運転手さんに告げた。かなりスピードを出したくれたのはありがたかった。 が、スピードが早まるだけ料金メーターの回転速度もましっていった。 10秒ごとに80円くらいあがり続け、出費は口に出したくないほど増えた。
予想外の出費に落ち込みつつ伊江島に上陸した。あまり外を見て回る時間もなかったのでゲストハウスに留まり、ほかの宿泊者の人と話していた。彼はケンさんという。
ケンさんはダイエットをしようと自転車ににりはじめた。しかし乗って帰ってきては疲れた体をビールで潤してしまい、なかなか体重が減らなかった。1日で帰ってきてしまうからやせられない。ならばと自転車を借りて2〜3日の度に出た。こぎ進むうちに、この先は何県だか確かめたい、何があるのかみてみたい、といった思いが芽生え、東京から沖縄までママチャリで来てしまった。
この人はなりゆきを決然と生きているなあ、と思った。身を流れに委ねる一方、その流れをしっかりと楽しみ、また流されつつも針路は常に自分でとってきた。
自由とはこういう状況に近そうだ、と思った。
人生を歩くとき、その道を自分で考えないのはもったいない、が決めつけすぎてもいけない、周りの状況に流されつつも流されている自分を客観的に認識し、楽しみ、ただいつでもその流れから抜け出せる力を持っておく、くらいのバランスがちょうどいい。
なりゆきを決然と…、今日は生きただろうか。







