2010年10月12日火曜日

OKINAWA×BASE 「本土」













 羽田空港に戻ってきて、JALの飛行機から降り、荷物を拾って、川崎へと向かう京急に乗り込んだ。車内は旅行帰りの人で混みあい、大きなザックを抱えたぼくは身動きをとれなかった。川崎からJR南武線、武蔵溝の口から東急田園都市線を乗り継ぎ下宿のある用賀に着いた。


 この間、誰とも、一言も話すことはなかった。帰り方はわかっているから人に道を尋ねる必要はないし、もの珍しいこともないので特に足を止めることもない。黙々と重い荷物を背負って、何も見ず、何も聞かず、ただ目的地に向かっているだけだった。旅の終わりを感じた。都会の日常に再び立たされた。陰鬱な気分だった。


 「学生」、だからなのかもしれないが、ぼくの日常は閉鎖的だ。毎日、大学という安全な場所(ある程度、自分で自由な時間を過ごせる居心地のいい場所)に通い、友人と話したり、退屈な講義を聴いたり、図書館で本を読んだりしながら気ままに過ごす。休日はアルバイトをしていることがほとんどだ。そこにはそこでの出会いや発見があり、自分の成長を実感することもある。ぼくはずいぶんと長い間、こういう時間や生活を満喫してきた。


 ただどこかで、物足りなさを感じていた。いま、この時間を深く生きているのだろうか、という不安が常に側にあった。ぼくにとってのいまは、ぼくにとってのいまでしかない。自分に見える範囲、自分に聞こえる範囲、自分で考え、悩める範囲にしかぼくの現実は存在していなかった。


 沖縄の旅を通して、その不安に対する答えをつかみつつある気がする。帰りのJALの機内で書いた日記に、ぼくはこう書いている。


 「この旅はたくさんの人に支えられたと思う。計画も立てず、足も持たず、身一つ、思い一つで沖縄に来たからこそ、ぼくは多くの人に頼ったし、頼ることを楽しめた。人間は、人間とのつながりがあれば生きていけるのではないかと思えた。『つながり』。生きるうえで何よりも大切なものかもしれない。人に頼って、人に頼られて、つかずはなれず、持ちつ持たれつ、生きていけばいい。自分だけで全てやろうとしなくていい。他人がいてぼくがいる。ぼくがいて他人がいる。そう思うと少し楽になれる。とにかく、この旅を支えてくれた人々に感謝の気持ちでいっぱいだ」。


 「名護に着き(一度名護を去ったあと東京へ帰る前に再び立ち寄った)、選挙事務所を訪ねた。『お世話になりました』、とあいさつした。『また来てね』と言われた。出会いは財産だ。何も持っていなかったぼくが、いま沖縄につながりをつくれたのだ。この出会いは、宝だと思う」。


 「人とつながること」。多分、このことがいまを深く掘り下げ、現実を自分の日常からさらに広げてくれるのだろう。沖縄へ行き、実際に問現場の空気に触れ、当事者と話し、意識を同調させることができたからこそ、これからも基地問題に関心を持ち続けることができる。閉鎖的な日常からでも、出会った人々に思いを馳せ、何かある度にその時々の当事者の心境や表情を想像しようとするだろう。ぼくのいまは、沖縄のいまとも少しは同調できるようになった。


 最後にもう一度問いたい。


 「これは人間の問題よ。沖縄の問題じゃないの」。


 と語ったおばあの言葉の意味を。


 沖縄の基地は、沖縄に大きな痛みを残している。あばあの言う「加害の意識」もその一つだ。そういった痛みを沖縄の人々が抱えているということを、まずは知ってほしい。想像してほしい。そして、それとどう向き合うべきか考えてほしい。人間の問題。基地があることで、人間の尊厳が脅かされているということにまで意識を巡らせてほしい。


 沖縄には変化のうねりが生れつつある。あきらめかけていたことに、もう一度向き合おうという思いがある。稲嶺市長の誕生や、名護市議選での結果はそれを物語っている。しかし、何度も言うようにこれは沖縄だけの問題ではない。本土で、沖縄のうねりが波となって広がるかどうかが試されている。だからこそ、ぼくは長々とこれを書いてきた。少しでも、沖縄の現実を伝えるために。


 沖縄に関する報道を、ただ受け取るだけでは足りない。それについて何かを考え、自ら勉強して知ることも必要だと思う。知らなければ、何が正しくて何が間違っているのか判断できないからだ。

 重苦しく考えなくてもいい。まずは沖縄について知ることが第一歩だ。ふらっと遊びに行って、現地の人と少し話すだけでもいい。そのくり返しが、沖縄と本土との距離を縮めてくれると思うから。

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