「タ、ク、マ、タ、ク、マ、タクマを、よろしくお願いします」。
軽快な音楽と一緒に、選挙カーから発せられる声が名護の街に響いていた。名護市議選。市民、県民のみならず、日本政府も結果を気にかける重要な選挙。その投票日の3日前にぼくは名護の街にいた。
辺野古のテント村の人の紹介で、名護市議選候補の方の選挙事務所にお邪魔させてもらった。選挙を少し手伝えば、その事務所の方々が利用している宿に安く泊まれると聞いたからだ。手伝いと言っても、そこへ着いたのは夕方で、その日は何もすることがなかった。退屈そうにイスに座っていたぼくに、事務所の女性(彼女は沖縄の基地問題に関する本を何冊も書いている、元編集者のけっこうすごい人だった、と後に知った)が疲れた表情でぽつりとつぶやいた。「選挙は本当に大変」と。
今回の市議選は、普天間基地の辺野古への移転に大きく影響する選挙だ。現名護市長の稲嶺進氏、辺野古への普天間代替施設の建設を、明確に拒否している。名護市民にしてみれば(無論、容認派にしてみれば話は別だが)希望の光ともいえる存在だ。現在(ぼくが沖縄に居たとき)、市議会での市長支持派は過半数を割り込んでいる、稲嶺市政を支えるためには、今回の市議選で市長を支持する議員が過半数の議席を確保しなければならない。もし、稲嶺市長支持派が過半数を占めると、代替施設の建設の建設にNOを突きつける気運がより強まることになる。
それだけ重要な選挙なのだから「大変」だということもわかる。が、その女性の言う大変さは、沖縄の選挙の別の側面を意味していた。
地縁、血縁、土建屋。この3つのものが沖縄(いや、日本全体にも言えることかもしれない)の選挙を支配しているという。住民にとって投票の基準となるのは、候補者との距離だ。親戚や知人、知人の親戚、親戚の知人、であるかどうか。自分の住む地区、地域の出身であるかどうか、自分の会社に利益をもたらす候補者かどうか。個人の思想や信条とは関係なく、自分と距離の近い候補者に投票することがあたりまえの慣習となっている。そのため外から来た候補者(実はぼくがお世話になった事務所の支える候補者もそういった人の一人)はなかなか勝つことが難しいとされている。
また、この選挙の風潮は、基地が動かない理由の一つでもある。 先に述べた土建屋は基地があることで儲かる商売だ。新基地の建設や整備を容認する首長や議員たちとつながりを持ち、選挙ともなれば社員総出で投票へ行き、特定の人物へ票を入れるという。そして票を得た首長や議員は、基地関係の補償金を公共事業につぎ込み、土建屋を潤している。互いに結びつくことで簡単には壊れない、利益誘導型の体質を作り上げてきたようだ。最近の名護市長選挙まで、基地反対派の市長候補者が勝てなかったのも、こういった背景が関係しているのかもしれない。
「古い構造との対決でもあるの」と女性が言うように、名護市議選でもし現市長支持派が過半数の議席を取れば、沖縄に生まれつつある新しいうねりはさらに大きくなるだろう。
翌朝、ぼくは事務所の支援する候補者の名前が入った旗を持ち、通り行く車に手を振りながら、名護の街頭に立っていた。一宿の礼といえここまで手伝わされることになるとは思わなかった。「ぼくはここで何をしているんだろう」と心の中でつぶやきつつ、通行人を眺めていた。すると、なんとなくではあるが、「民意」のようなものを、人々の表情や仕草から見て取ることができた。
たとえば、手を振ると振り返してくれる人、完璧に無視する人、目を合わせず会釈だけする人、声をかけてきてくれる人、様々な反応がある。その反応をひたすら注視し、全体の総和を分析してみると、民意の雰囲気というか、風当たりのようなものを感じ取ることができる。よく国政選挙の報道で「風が吹く」という表現が使われるが、その風は、人々の小さな反応の集合体のことではないか。一緒に街頭立ちをしていた人も、「始めた頃より反応してくれる人が増えた」と言っていた。市議選は、沖縄の未来に影響を与える。選挙は、それだけの意味を持っている。だからこそ一票に、しっかりとした考えや思いを込めるべきだと思う。名護市議選、見守りたい。
※9月12日に投開票された名護市議選の結果、稲嶺市長を支持する議員が過半数の議席を確保した。波は確実に大きくなりつつある。
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