2010年10月9日土曜日

OKINAWA×BASE 「高江」








 耳慣れないセミの鳴き声が森中から聞こえた。周りの深い亜熱帯の森を割るように味気ないコンクリートの道路が一本だけ目の前に横たわる。道路沿いには作りかけのトタンバリケードがあり、その奥に進むと金網越しに一面アスファルトのひらけた場所がある。大きさはテニスコートの一面程度。ヘリパッド(ヘリコプター離着陸帯)だ。


 米軍北部訓練場は沖縄本島の北部に位置し、7800haもの広大な敷地面積を有する。主にジャングルでの戦闘訓練やサバイバル演習などに使用され、ベトナム戦争時にはゲリラ戦の訓練なども行われていた。実弾やヘリコプターが飛び交うこの危険区域に隣接する小さな集落が、東村高江地区だ。


 高江に来るまでに、またひと手間かかった。名護市議選での街頭立ちを終えたぼくを、選挙事務所の人が車で高江まで送ってくれることになっていた。だが、行く前に、東村の別の地区でチラシ配りを手伝うことになった。東村でも村議会選挙が近づいていたのだ。


 名護から東村まで車で約1時間。車窓からは、浜が多く空が広く見える西海岸沿いと、断崖と青い海が見渡せる東海岸沿い双方の景色を楽しめた。送ってくれた事務所の人から、車内で高江のヘリパッド問題や村議会の話を聞いた。


 高江では、米軍の新ヘリパッド建設を巡り、住民による反対運動が起きている。1995年、米兵による少女暴行事件を機に沖縄県民の反米、反基地感情が高まる中、SACO「Special Actions Committee on Okinawa 沖縄に関する日米特別行動委員会」が設置された(SACOは、県民の「基地の整理縮小」という要求を受けて発足したものの、実際には「基地の尖鋭化と再編強化」の意図があると県民側は感じている)。1996年、そのSACOの決定に日米両政府が合意した「SACO合意」によって、北部訓練場の約半分が返還されることになった。しかし、その条件として返還される部分(国頭村側)にあるヘリパッドを高江に移設するということも決められていた。


 もし高江に新たなヘリパッドが建設されれば、住民の負担が増えるのはもちろんのこと、辺野古、伊江島飛行場、金武町のブルービーチに建設が予定されているヘリパッドを基点に、沖縄本島の北部全体を米軍のヘリコプターやオスプレイ(新型の飛行機、両翼についたプロペラが離着陸時の垂直方向から飛行時の平行方向へと可動する。試験時に事故が多発している不安定な飛行機)が飛び回ることになる。


 この事態に東村としても反対を表明するのかと思いきや、議会はうまく機能していないらしい。ヘリパッド建設反対の立場で立候補し当選した村長は就任と同時に意見を変え容認の立場へ転じた。議員らは議会でほとんど発言もせず座っているだけ。そんな頼りにならない村政を尻目に、住民は建設現場への座り込みなどをして反対運動を続けているという。


 高江の事実を知った後のチラシ配りは、気が重かった。軽自動車で山間の小さな集落を回り、チラシをポストへ入れていった。家に人が居ればあいさつをするが、返ってくる反応に元気はなかった。地域によって、選挙への関心の具合がまちまちであることに気付いた。街に暮らす人の方が、反応を見る限りでは関心が高い。田舎の方では、大きな変化を嫌う気質があるのか、関心はそう高くないように感じた。蒸し暑さの中でのチラシ配りを終え、ようやく高江に着いた。


 座り込みを行っているテントへ行くと、若者が一人、テントの下でイスに腰掛けていた。聞けば東京から来た大学院生とのこと。高江には何度か座り込みに来たことがあるようで、その日もたまたま住民の代わりに見張りをしていたたようだ。高江の座り込みには人手が足りていない。


 後に集落の人が来て詳しく闘争の日々について教えてくれた。ヘリパッド建設工事は2000年から始まった。すぐに住民は作業現場に座り対抗した。ときどき、現場に作業員や防衛局員が来るものの、粘り強い監視と座り込みで工事に大きな進展はなく、状況は落ち着いたかに見えた。


 しかし、2008年、国は「座り込みは工事を妨害している」とし、住民15人を相手に「通行妨害禁止仮処分命令」を那覇地裁に申し立てた。国は住民との話し合いでなく、司法の力を用いて工事を進めようとした。結局、国が裁判所へ提出した書類の内容は、人違い、車両、行為の特定が十分でないなどずさんだったため申し立てはほぼ却下された。が、住民のうち2名には「妨害行為があった」という決定が出された。この2名は「ヘリパッドいらない住民の会」の共同代表に名前があったために、決定に差が出たとされる。


 「自分たちに非がないとわかっていても、訴えられることはショックだ」と、当時の心境を住民の方が話してくれた。精神的にも、体力的にも、金銭的にも住民に負担を与える。そして反対運動をあきらめさせる。国の申し立てにはそのような狙いが透けて見える。


 沖縄の旅の最終日、ぼくは高江の座り込みに参加した。朝8時、昨日知り合った東京の大学院生と一緒にテントを開け、資料を置いて、イスに座る。後から住民の方が一人来て、計3人で座り込む。ただただ座り込む。ほかにやることもない。セミの鳴き声がやたらうるさく脳に響く。その退屈さが苦痛だった。当事者の住民はこれに加えて「本当に中止できるのか」という不安と毎日闘っている。辛いだろうし、悲観的になりかねない状況だ。それでも闘う。雨でも風でも、毎日毎日、座り込む。


 ときどき、車が止まり、県内、県外から来た人も一緒に座り込む。高江が勝つためには、こういった外からの援助も必要だ。住民だけで闘い抜くことは大変だろう。それに、少し前にも言ったが、基地問題は沖縄(当事者)だけの問題ではない。日本人誰もが目を向け、考えるべき問題なのだ。この小さな集落から、大きな問題がぼくたち本土に住む人間に投げかけられていることを、知ってほしい。

0 件のコメント: