
この旅の目的地である広島。だがこの場を考えることと、旅そのものを考えることとは少し質が異なる。だからあえて両者をリンクさせず広島について書き残す。といっても、今書くのではなく、ぼくがその場に立っていたときの日記をそのまま引用することにする。
以下、2010年2月25日の日記より引用。
空間移動がなかっただけ、今日はあっという間に過ぎていった。こんなにひとつの場所について考えた日ははじめてかもしれない。
しっかりと七時間眠った。起き出してからすぐシャワーを浴び、さわやかな気分で朝食をづくりにとりかかった。J-Hopper's(広島のゲストハウス)は調理器具や調味料などが自由に使えるのでとても生活しやすい。タマゴ六つとチーズでオムレットをつくった。それをトーストと紅茶と一緒においしく食べた。ついでにあまったぶんでサンドウィッチもつくりお弁当にした。
歯をみがき、荷物をまとめ、シーツを返し、チェックアウトして外へ出た。荷物はあずかってもらった。
まずは平和記念公園のモニュメントの前で祈った。少しでも想像できるように(原爆について)決意した。その足で平和資料館へ入った。広島の成り立ちから明治大正昭和初期までの広島。原爆投下の経緯とその被害、これからのヒロシマに展示が分かれていた。ほとんどのパネルを丁寧に見ていった。説明を読んでいるとなんとなく8月6日のりんかくがつかめてきた。そして被爆者の遺留品の展示を見た。ぼくの目の前にあるくつやふくや三輪車は、65年前、たしかに血の通った人間に使われていたのだ。そのひとたちひとりひとりに感情や考えがあり、友人や家族がいて、人生があった。尊い命があったということだ。それらが一瞬で消えてしまったのだ。それも14万人近い人々が。
原爆などの核兵器はなぜ使用すべきではないのか。その理由はやはりその威力の大きさだろう。人権侵害とか殺人とか、そういう言葉で形容できるものではない。あまりに強大すぎる。命も血のつながりも、文化も歴史も一瞬で無にしてしまうのだ。人間がつくり出したものでありながら、その存在自体が人類の敵なんだと気づかされた。被爆者の描いた絵や、体験記を見たりして少しづつ想像が及ぶようになってきた。全体的な全容まではわからないが、その断片がヒロシマの事実を少しづつぼくに教えてくれた。鳥肌がたつほどに不安や恐怖をおぼえた。
爆心地の島病院の側で空をあおいだ。原爆ドームの絵も描いた。とにかくヒロシマを全身で感じとりたかったから。最後に、もう一度モニュメントの前で祈った。平和とは何か考えた。平和は、何かととなり合わせになっている。もしくは何かをふみ台に立っている。今日の日本の平和とはそういうものだと思った。少しでも、本当の意味での平和がおとずれるよう、ぼくも力になれたらいい。
今日のしめくくりは、またあのお好み焼き。W(通常の倍の量)で食べた。また広島に来た時に、まだあればいいな。今、バスで東京へと向かっている。 二〇一〇年二月二十五日 木曜日
1 件のコメント:
とにかく、おかえりなさい。
お疲れ様でした。
“核持ち”という世界基準の名残が一刻もはやく消えることを祈るよ。
そして私たちも努力しよう。
コメントを投稿