2010年2月26日金曜日

自転車×広島 概要

自転車に乗って広島を目指した。

1日目  東京・用賀~静岡・富士
2日目  静岡・富士~愛知・渥美半島
3日目  愛知・渥美半島~三重・伊賀上野
4日目  伊賀上野
5日目  伊賀上野
6日目  伊賀上野~大阪・掟川
7日目  大阪・掟川~兵庫・淡路島
8日目  兵庫・淡路島~愛媛・伊予三島
9日目  愛媛・伊予三島~愛媛・松山
10日目 愛媛・松山~広島・土橋
11日目 広島・土橋~
12日目        ~埼玉・大宮

基本的に公園や道の駅で野宿、自炊。
伊勢湾、大阪湾、瀬戸内海ではフェリーに乗船。
広島からの帰りは夜行バス。

2010年1月31日日曜日

走る

想いによって走りは変わる。


レース中、走力や体力を超えて精神との競争に入るとき、力の源になるものは何かに対しての想いなのかもしれない。

今回の駅伝は順位とタイム、ともによかった。ただ、それはそれなりの準備をしてきた結果だ。走っているときの苦しみを乗り越えた成果ではない。

速くよりも強く。そんな走りを目指すのであれば、常に限界へと挑む覚悟が問われるのだ。


走ることで強くなりたい。
今日はその想いが足りなかった。走る意味をはき違えないよう、これからも走りつづける。


一年の空白をわびる。
発信、再開。

2009年1月27日火曜日

繋げないと意味がない。

一人一人の走りを、努力を、思いを…


それがチームだからね。

本気になれ。

2008年12月6日土曜日

成長

とりあえず一安心。

思った以上に時間はかかったが、今日でやっと終わる。そういえば教官は今日からが始まりとか言ってたっけ。
まあどちらにせよ3ヶ月間よくがんばった、と自負できるので良し。あと数時間後からはもう日本中に張り巡らされた交通網の上に立てるわけで、そういう意味でいままでとは少し違う立場になったのだろう。

幼い頃、運転席の上でハンドルをにぎりながらふざけていたら、急に車が動きだした。どうすることもできず、怖くてただ頭の中が真っ白になった。
という夢をみたことがあった。
いまはもう車が勝手に動き出しても冷静に対応できる気がする。

大人になったなと実感した。

2008年7月26日土曜日

学生

何かに向かうことは必要なんだ。あたえられた時間のなかで、その時間がおわったときに、自分はこれをやったと胸を張っていえる何かに。
それがスポーツでも、学問でも、仕事でも、遊びでもいい。純粋な感覚をもってそのものと向き合えれば、自分はたしかな時間を生きたといえるはず。

僕はいつからか、ずっと走り続けている。理由はその時々ちがう。体力をつけるためだったり、運動不足を解消するためだったり、駅伝の襷をつなぐために走っこともある。
今も走ることをやめてはいない。特別な目的はないけど時間があれば走る。好きだからではない(もちろん楽しいと思うときもあるが)。欲求や理想とも違う。
ただ、走っている時は走っている時でしかない。呼吸や足を運ぶリズム、筋肉や脳、心臓の疲労感、肌に感じる気温や湿度。じわりとにじみ出る熱をもった汗。ひたすらに感覚的な事実と向き合っている。今の僕にとっては、そういう時間にこそ「生きている」という感覚を持てるのかもしれない。そして、こういう感覚は何年たっても消えないだろう。

いずれは見つけなければいけない。死んでもいいと思えるような何かを。そういうもののために生きるのだから。
矛盾してるが、僕にはまだ将来について悩める時間がある。学生という立場は特別なんだ。だから何かを残したいんだ。いまに。

2008年7月24日木曜日

机から

自分の机に向かうと、いろいろなことが頭の中を交錯し勉強に集中できなくなる。だから普段はあまり使わないのだが、今日は一日中その机にへばりついていた。やはり勉強はあまりはかどらなかったが、窓の外から聞こえてくる蝉やかえるの鳴き声や遠くの道路で車が通り過ぎる音、時計の針や風に吹かれてゆれるカーテンの音が、この暑さと一緒に肌に染み込んできたような気がする。
ここに座りながめる窓の外の景色は、いつも季節を実感させてくれる。いまは夏だ。空は青い。雲は巨大な塊となり、木草は深い色をもつ。そういった季節の目印は過去の夏まで呼びおこす。
去年のいまごろは何をしていただろう、一昨年は、そのまえの年は、そのまたまえのとしは、、、。夏は毎年来る。だけどいつも違う。来年は、再来年は、今年の夏を思い出すだろうか。
そうしてもらえるような夏をすごしたいものだ。


あと一週間、試験が終われば夏休みがはじまる。

2008年7月5日土曜日

遭難

人間が作り上げた生活環境がいかに快適で安全か、これは山や森などの自然界の中に身を置くことでより強く実感できる。例えば山の中を歩く時、地図や標識以外のもので自分の位置を判断し目指す方向に進める人はどれぐらいいるだろうか。人間の入った痕跡の無い所を一人で進み歩くにはかなりの勇気と知恵が必要だ。

見知らぬ土地に入り、目印や歩きやすい道を見つけながら人々が行き来するその歴史が、現在の地図や道となり、僕たち人間の活動域を広げたのだろう。こんなにも暮らしやすい環境があるのも、そういった先人たちの積み上げてきた文化文明があるからなのかもしれない。

人類は経時的だ。