2011年4月5日火曜日

揺れ

 3月11日午後2時46分。キーボードを叩きながら見つめていたパソコンの画面がゆったりと揺れはじめた。地震かな、と思いつつも手をまだ動かしていた。その日のうちに完成させなければならない書類を作っていたため、多少の揺れにかまっていられなかった。窓のブラインドが音をたてて波打っていた。ドンッ、とパソコンが大きくずれたと思うと、すぐ隣から悲鳴が聞こえてきた。周りを見回すが、パソコン室の中にいたはずの多くの学生がいなくなっている。よく見ると、皆机の下に隠れていた。あわてて机の下にもぐり込んだ。首を曲げたまま、隣の人と目が合った。その人の不安そうな表情を見て、自分が大変な事態に直面していることをようやく認識できた。


 揺れがおさまり外へ出ると校舎の中にいた学生や教職員が大勢立っていて、上を見上げていた。地震があったんだ、それもかなり大きな、と頭の中の思考が働きはじめた。「校内にいる生徒、教職員の皆さんは運動場に集まってください」。校内放送が聞こえてきた。ぞろぞろと人の流れに合わせて運動場へ行った。携帯電話を取り出してワンセグ放送を観た。三陸沖で震度7。アナウンサーが興奮した様子でくり返し「大きな地震がありました」と声を荒げていた。


 ふと、書類のことを考えた。企業へ提出する入社志望書。今日中に書かないと間に合わない。パソコン室に戻って作業を続けよう。頭の中でそう考えたが、体が動かない。これからどうなるのか。皆無事なのだろうか。胸の奥からふつふつと不安で重い感情が湧いてきた。初めて体験した大きな揺れは、今までの時間の流れを変えてしまったようだった。


 ほんの数時間前まで、なぜ働きたいのか、どんな人生をおくりたいのか、自分はどんな人間なのか、入社志望書に書くべき言葉を探していた。当たり前のように、今日書類を完成させ、郵送し、試験を受け、緊張しながら面接に臨んでいる、そんな近い未来が来るのだと思っていた。自分の想像できる範囲で時は流れ、その時々で苦労しながら前に進んでいく。人生を、ある程度想定通りに歩んでいくのだと思っていた。


 だが、変わってしまった。あの揺れの前と後とは、まるで別世界になってしまった。地震や津波、原発事故は多くの人の現実を変えてしまった。社会を取りまく状況が変わった今、自分の生き方をもう一度考えたいと思う。

1 件のコメント:

Kenji Hayakawa さんのコメント...

Hey Day Tripper,

カナダのオンライン紙「Huffington Post」に今日、インタビューを受けました。URLに貼り付けたエントリーを読んだリポーターが、昨日、メールでコンタクトを取ってきて、今朝、電話で一時間程話をしました。明日の夕方ごろに、完成稿が公開される予定。

なぜこのリポーターが僕の書いたものに興味をもったか、それは、彼女曰く、ニュースにはない視点があったから、だそうです。カナダ・米国のニュースは、「事実」である映像記録を背景に、かなり否定的な文脈でこの惨事を語っている。このエントリーも「変わって「しまった」」という言葉で締めくくられているけど、まさに「しまった」という雰囲気が支配的だ。

でも、地震による地理の乱れ、及び原発事故は、かなり積極的な側面も含んでいるんじゃない?というのも、この惨事以前には、自分の意志の力のみで環境問題や劣化する景観の問題などと向き合わざるを得なかった若者にとって、無理矢理電力や地形を奪われたことは、ライフスタイルを変えることを強要されたという点で良かったんじゃない?もちろん、被害そのものは酷い。だけど、本当の意味で途惑っているのは、むしろ映像等の媒介を通して間接的に被害者たちに向き合う僕らなのではないか?「失われたもの」に対して思いを巡らす余裕がある僕らと違って、被害を受けた人らはむしろ未来への転換に一歩先に向かっているのではないの?

そういう類のことを、今朝話しました。