2010年12月15日水曜日

受動と能動

 何かを「知る」には受動と能動、二つの過程がある。テレビと新聞との大きな違いはおそらくここにある。


 たとえば新聞を読むことは、能動的に何かを知ることだ。毎日ポストに投げ込まれる新聞を毎日読むことはそれなりのエネルギーを必要とする。紙面に敷き詰められた活字を目で追いながら、内容を頭の中で組み立てニュースを吸収していく。内容が複雑で一読しても理解できない場合はもう一度読み返す。そうやってじっくりと社会の出来事や世界の情勢を自分の中に取り込んでいく。真面目に読めば読むほど、社会や世界の現実を共有することができる。


 たとえばテレビを見ることは、受動的に何かを知ることだ。「さあ知ろう!」と構えなくても、ただテレビの前でぼーっとしていれば、ニュースは耳に入ってくる。画面の中のアナウンサーは、耳で聞いていれば理解できるような言葉であらゆる事実を語ってくれる。その声は、どんなに周囲に無関心を払っている人の耳にも届くだろう。


 メディアとしては、どちらも必要なのだ。それぞれに利点欠点を補い合って、人々に事実を伝えていく。そうして発信された情報は誰かにとっての何かの「きっかけ」になるかもしれない。「知る」ことで、人は何かを考えたり、疑問を抱いたり、怒ったり悲しんだり、会ったこともない遠い国の人を思ったり、他人の喜びや苦痛を想像したりもできる。


 人が人を思いやるには、ある程度その人の置かれている状況を知っているという前提が必要なのだ。現実を共有することで、共感の翼は大きく広がっていく。その翼に包まれた世界は、きっとわるくない。


 悩んでいる。ぼくは何を通して伝えるべきなのか。今日参加してきたNHKのセミナーは、メディアを見る視点を広げてくれた。「理解を深める報道」か「誰にでも届く報道」か。僕の原点、価値観、正義。すべてを研ぎ澄ませて、媒体を吟味していきたい。

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