

1949年、中国人民解放軍がチベットに侵攻して以来チベット族は弾圧を受け続けてきた。そして、ラサ蜂起、ダライラマのインドへの亡命、亡命政府の樹立、その後もデモや動乱がチベット自治区内外でたびたび起きている。チベット族の人々が昔から願い続けることは変わらない。平和と幸せだ。
人それぞれ価値観が違うように、チベットにはチベットの、中国には中国の考え方や価値観があることを互いに理解しようと努めなければならない。チベットは中国から苦しい弾圧を受け続けながらも、中国との共存の道を探ろうと努力している。「独立」ではなく「中国主権下の高度な自治」への妥協もその表れだろう。次は、中国が歩み寄る番ではないのだろうか。互いの共存に向けて。
ぼくから見て、村で質素に暮らすチベット族の人々も、町の路地で暇をもてあましながら麻雀やトランプをする中国人も、心にゆとりのある生活をおくっているようだった。そして幸せそうだった。それでいいのでは、と思ってしまう。たとえチベット族がチベット族らしく、自分たちのことを自分たちで決められるようになったところで、路地で麻雀をしたり、川辺でゆっくりとお茶を飲んでいる中国人の幸せが失われるわけではないのだから。庶民の生活で、人それぞれのまっとうな生き方が保障され、ある程度未来が楽しみなものであるならば、国はそれを守ればいい。暮らしの平和や民族の誇りを傷つけてまで何を求めるというのか。
すべての人が共有できる普遍的な価値観は何かと問われれば、もっともそれに近いものは自由と平等だと答えるかもしれない。こういう前提があることを認めたうえで、互いの考え方や思想の違いを理解しようと努力すべきだと思う。すべての人が共有できる普遍的価値観や原則のようなものが無ければ、妥協することが難しくなるのだと思う。
「あなたもわたしも自由に生きている。そして平等に扱われている。だから、互いの意見がぶつかりあったとしてもそれを尊重しあいましょう。そして、どうしたらあなたもわたしも幸せに生きていけるのか考えましょう」と言えたらいい。
誰もが自由なのだから、誰もが平等なのだから、それが普遍的価値なのだから、矛盾するこの二つの価値のバランスを誰もが考えなければならない。
中国もチベットも答えを出してほしい。そのバランスの答えを。丁寧に根気強く話し合いながら。村でも、路地でも、人々が笑って暮らせるように。
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