2010年3月25日木曜日

中国×チベット 小学校とアイデンティティー


 町には小学校が無い。あるチベット人が語気を強めながらこの問題を語ってくれた。チベットにあるどの町にもチベット族の小学校が無い、つくりたくても中国側から許可が下りず、つくれないのだという。
 町に小学校が無ければ、町で暮らすチベット族の子どもたちはチベット語やチベット文字を学べない。やむを得ず中国人の小学校に入り中国語を学ぶ。すると子どもたちはチベット族でありながらチベット語を話せず、中国語を使って暮らすようになる。町では中国語さえ話せれば生活できるのだ。むしろ中国語がわからなければ仕事を見つけられない。そのため、あえて子どもを中国人の小学校に入れ中国語を学ばせる親も増えているという。チベット語という民族独自の言葉が徐々に失われつつある。
 これらのことが意味するのは、チベット族としてのアイデンティティーの衰退である。言語は、民族がその民族であるということを認識できるもっとも基本的な要素だといえる。もしこれが無くなってしまったら、文化や習慣だけがなんとなく見世物のように残るだけで、民族そのものは形骸化してしまうのではないか。
 こういったことを危惧し、町で暮らすチベット族の家庭ではあえて子どもを村の親戚の家などに住まわせ、村にあるチベット族の小学校に通わせることも多いという。町には大学や師範学校などの高等教育機関が集まっている。またさまざまなビジネスも展開され、文明の発展のエネルギーが生まれる場所だ。チベット族がチベット族としてそういう場所に進出しにくいというこの状況は、中国がチベット族の発展を妨げ自国への同化を促しているように見えた。
 
 

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