今日は大槌町へ行った。箱崎よりも居住地が広く平坦な地形なため、建物の基礎だけ残した町の風景はさらに開けていた。
木片やビニールなどと絡まり岸に打ち上げられていた網を、違う用途に再利用するため、解きほどいていった。津波で流され、廃材となったものだけでバスケットボールのゴールを作るために使う。様々な街づくり構想のなかの一つらしい。絡まった網をほどき、適度な大きさに切り分けて、並べる。全てほどいたところで午前中の作業が終わった。
防波堤のそばを歩いて休憩所へ向かった。4〜5mほどの防波堤は崩れることのない壁に見えたが、所々、傾いていたり、崩れていたり、流されてしまい応急の土嚢が詰まれたりしていた。「防波堤があるから大丈夫」、と避難への思考を止めてしまった壁は、多くの犠牲者を出した一因だったという。ハード対策は、想定を超える事態に、想定を超えて対応できないことを、傾いている動かないはずだった壁が示していた。
大槌町の内陸にある「復興商店街」で昼食をとった。50mほどに並んだ2階建てのプレハブに、食堂や居酒屋、弁当屋やレンタルビデオ点、塾やソーラーパネルの販売店など様々な店が軒を連ねていた。街の商店の再生の足掛かりとなる、そんな場所だ。たくさんの意欲的な経営者が、様々な事業を、それぞれの町や地区で展開していくことで、そしてそこでお金の循環が生まれることで、人々の生活や町の風景の再生をリードしていく。沿岸部でこのような仮説商店街や横丁の設置の動きは活発化している。
家の基礎がきれいに見えるだけ、津波で流されてきた泥から家財道具までのさまざまなものの撤去は進んだといえる。ただ、大槌町で言えばまだ港湾近くの道端には行き場を失った流木や網やブイや缶詰めなどが放置されている。午後はそれらを少しずつ軽トラックに乗せて運び出した。大型機会の入れない細かな箇所は、まだまだボランティアによる片付けが必要とされている。雪かきなどもわざわざ税金を投入してまでやっていられない。災後11ヶ月を迎えようとしている今でも、人手は必要なのだ。
「たくさんの人がボランティアとして現地に入り、活動してくれることで、地元の人は勇気づけられ、復興は加速していく」、と、遠野の小さなバーのマスターは言っていた。そうだと思う。まだまだ終わっていない。まだまだこれからだ。復興の現場に立つことでそれを感じることができる。
梅雨明け7月の、36℃を超える容赦ない猛暑のなか、汗も筋肉痛も無視して泥や砂利を水路からすくい出していた経験が、いまもぼくの意識を箱崎町へと引き寄せ続けている。「いま、どうなっているだろうか」と、気になっていることが、たとえ少しの間しか居られないとしても、一目だけでも現状を見に行こうという行動につながっている。
大学が春休み期間に入りボランティアの数は多少増る傾向にある。が、多ければ多いほど良い。現場では、1人の存在の有無が作業の進行速度に関わってくる。
もうほとんど片付いてきているからとか、どうしたらいいかわからないからとか、忙しいからとか、自分のことで精一杯だからとか、足を運ばない理由はいくらでもあると思う。
でも、依然として人手は必要だし、インターネットで10分集中して調べれば行き方や参加の仕方は簡単に調べられるし、忙しさや自分の事情は結局は自分の考え方次第だ。
「困っている人のために」、という名目は確かに大事だと思う。けど、それだけじゃない。そういう文句だけでは災後に参加することの意味を捉えられない。
復興の過程をこれからの未来をつくっていく人々が共有していくこと、が必要なんだと思う。

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