2010年9月15日水曜日

上から下へ Ⅲ




 3日目、苦行は続いた。

 眠い目をこすりながらキャンプ場を出発した。山中湖に反射する眩しい朝日を浴びながら、湖畔を歩き別荘地へと進んだ。静かな森の中の緩やかな登り坂を30分ばかり歩くとすぐに峠に出た。ここから国道を下っていった。太陽はどんどん空高く上がっていき、遮るもののない道を容赦なく照りつけた。暑さは、体力を奪っていった。言葉数も減り、黙々と歩く。





 国道沿いの看板は宿や食事処までの距離を示していた。3キロ、10キロ、17キロ。どれも車にむけたメッセージだ。猛暑の中、車で移動できる道をわざわざ歩いて移動している者はどれくらいいるのだろう。世の中は、電車や車や飛行機のスピードに合わせて動いている。移動時間が短縮された分、忙しなく生きることが当り前になった。世の中のスピードと人間の生きるペースは、本当にかみ合っているのだろうか。歩くことが移動手段という前提で「じゃあ、8時間後、学校に集合ね」、なんて言う人は今の日本にはいないだろう。それくらいゆっくりとした時の流れの中で生きられたら、幸せなのかもしれない。

 御殿場市街はさらに暑かった。

 疲れた果ての昼食は、日の当たるアスファルトの上で食べたコンビニのパン。力がまるで出ない。市街を境に緩やかな下りは上りへと変わり、暑さで弱ったまま箱根の前に立ちはだかる乙女峠に臨んだ。数十センチ横を大型トラックやバイクがびゅんびゅんと走り去っていく。歩道のない国道を歩くことは、車にひいてくださいくださいと言っているようなものだった。時計の針は午後2時を回っていた。最も暑い時間帯に最もきつい上りの道を歩いていた。汗が背負ったザックにまで染みていく。誰もが黙々と歩いていた。喋る体力もなく、後ろから響いてくる車の音におびえながら、重い足を引きずりのろのろと歩いた。峠の茶屋が目に入った瞬間、陰鬱な心の影がすっと消えていった。

 茶屋で一休みしてから峠のトンネルへと入っていった。ここにも歩道はなく命がけの歩行となった。ヘッドライトを後ろに向け、車が来る度に壁にへばりつきながら必死でライトを振って存在をアピールした。恐怖を感じつつも、トンネル内のスリルを心のどこかで楽しんでいた。

 暗がりを抜けるといよいよ箱根。

 国道から外れ、仙石原の高級別荘地に迷い込んだ。休暇を楽しんでいたマダムたちに芦ノ湖へ抜ける道を教えてもらい、ゴルフ場の真ん中を通るサイクリングロードを進んだ。誰もいない道。4人並んで歩ける道だ。自然の静けさに呑まれないように、誰もが陽気に振舞っていた。歩かなければ、進まなければ抜け出せない、孤独な環境に対抗しようと。






 芦ノ湖へ出た。

 すでに日は暮れていた。宿のある元箱根まで芦ノ湖を半周しなければならない。受け入れたくない現実だった。すぐにでも涼しい明るい部屋に柔らかい布団を敷いて寝ころびたかった。が、進まなければ抜け出せない。歩かなければこの現実を変えることはできない。そういう状況だった。黒い闇に包まれた県道に足を踏み出した。4人1列になり、後ろから来る車に気をつけつつ、突如現れるとも知れない獣に注意を払いながら進んだ。いつまでこの暗い道が続くかわからない恐怖、途中で足が止まってしまわないかという不安、宿のチェックインに間に合うかどうかという焦り。そういったものを払しょくしようと意味もわからぬ声を出し続けた。人間は、人間の作った環境の外では極端に弱くなる。街が恋しかった。





「虹の郷」は元箱根の山の中にあった。一生忘れられない宿だったかもしれない。

 玄関に入るとスリッパが4つ並べてあった。客とはいえ、誰かが待っていてくれたということを知って、いままで歩き続けた孤独から解放されたような気持になった。出迎えてくれた奥さんに一通り宿の説明を受けて部屋へ入った。畳の広い部屋が2つ。冷房がきいていた。畳に横になって心から安堵した。今日を乗り切れたと。すぐに風呂に入った。湯から上がると、宿の主人が車で近くのコンビニまで送ってくれた。疲労と空腹の身に、その優しさが染みた。コンビニで大量の食糧を大人買いし、部屋に戻って食べた。同時に眠気が襲ってきた。空腹のときに食べられる。眠いとき横になれる。そんな単純なことが幸せに感じられた。

0 件のコメント: