4日目、最後の苦行が待ち受けていた。
ゆっくりと体を休め、遅めの朝9時に宿を発った。元箱根から箱根町までゆっくりと歩き、湯河原へと向かう峠越えの道路に入る前に休憩をとった。芦ノ湖畔にある小さなソフトクリーム屋さん。すだれのかかる日陰で休ませてもらった。涼しい風が通り抜けていた。道路の名は椿ライン。所々道沿いに椿が生えていた。峠までの上りは3日目の乙女峠ほどきつく感じなかった。峠にあったレストランで長めの休憩をとり下りへ臨んだ。
悪夢に出てきそうな延々と続く下り坂だった。やはり歩道はなく、遠くから聞こえてくる車の音に注意を払いながら進んだ。これまでの疲れがたまった体は、終わりの見えないこの道に嫌気がさしているようだった。何よりも精神的にバテそうになっていた。早く終わってほしいという思いだけが足を動かしていた。この椿ラインの下り坂では、4人それぞれが、ばらばらと歩を進めながら、自分自身と孤独に戦っていたのかもしれない。
湯河原に降り立ったとき、旅の終わりを感じた。海まで残り7キロほど。川に沿って歩道をゆっくりと歩いた。話をする余裕もあった。この旅はなんだったのかと考えていた。
この旅はなんだったのか。1日何十キロも歩き、足を痛め、苦行の果てに何かを得たのだろうか。これはぼくの中で1つの遊びだった。純粋な感覚・感情を求めた遊びだった。いつからか、腹の底から笑ったり、本心から遊びを楽しんだりすることができなくなっていた。理性や思考が、常に感覚や感情を抑えていた。現実の忙しさや、義務や、見栄によって、自分の本心と向き合うことを忘れさせられていた。いつも建前や合理的な考えだけで生活していた。
純粋な感覚・感情=リアル、だと思う。おいしいものをおいしい、眠いときは眠い、おもしろいことはおもしろいと、素直に自分の感覚や感情を100%受け入れる。そしてそれを楽しむ。それが今を深く生きる方法なのかもしれない。
この旅は、辛さのほうが大きかった。一方で、その辛さの向こうに純粋な感覚や感情は確かに存在した。疲れ果てた体で湯に浸かる瞬間、空腹のときに食べるご飯の味、暗闇から見えた明りの眩しさ、眠い体を布団に埋める心地よさ、常に仲間がいる安心感。
海で泳ぐことは好きではなかった。体はべとべとするし、髪はごわごわになる。クラゲに刺されることも。ではなぜ湯河原の海岸であんなにはしゃげたのだろう。もしかしたらこの旅で、何かを取り戻せたのかもしれない。