2010年7月31日土曜日

安堵


やっと安堵感のようなものが感じられるようになった。

この5日間、「働く」とはどういうことかを考えていた。が、この問いは結局、「生きていく」とはどういうことか、ということを考えない限りは辿り着けない答えだった。

”だった”と言えるのは、ある程度考えた末、確信とまではいかないが自信を持てる答えを導きだせた
(少なくともいまぼくはこの答えで納得できている)からだ。

ぼくは自分の命や生活をまっとうできる生きかたができればいいと思っている。

いままでは「夢」や「使命」といった言葉に思考を縛りつけられていたのかもしれない。人間は(ぼくを含めた一部だけかもしれないが)生きることに目標や目的というある種の道しるべみたいなものがなければ、安心して前に進むことができないものだと思っていた。何か目指すものがなければ、漠然とした日々に埋もれて自分が何者なのかわからなくなってしまうものかとも思っていた。

実際、ぼくは大学生活という自由な時間、空間を手にしてから、自分のやるべきことが何かわからなくなっていた。自信をもって「ぼくはこれをやればいい」と言えるものがどれなのか選びとることができなかった。だから、「信念を持って一貫した何かに打ち込む」ような熱を帯びることがなかった。

新聞記者になりたいという気持ちはあったが、それは心の底から湧きあがってくるようなものではなく、ぼくの考え、理屈のうえでなるべきだと決めつけていた部分が多かれ少なかれあった。自分を未来へと引っ張ってくれる目標が欲しかった、故にそう決めつけたのかもしれない。

そうやって無理やりに自分を前へ前へと押し進めようとしていたから、押し進めたその先がわからなかったのだ。

いつか夢について誰かと話したとき、その誰かが「夢は状態だ」と言っていた。達成するものが目標であるなら夢はその先にある自分の状態やそれを取り巻く環境を指す、という意味だったのだろう。

その通りだと思う。

「夢」は叶えて終わる一過性のものではない。自分(もしくはそれ以外の対象)を取り巻く包括的な状態であり、そうありたいと願う生きかたそのもののはずだ。

たとえば、「新聞記者になりたい」というのは夢ではなく目標だ。大切なのは、新聞記者になってあなたはどう生きたいのか、という問いに答えることだ。

その問いに答えてみる。

新聞記者という仕事をこの5日間経験してみて、ぼくはこの仕事を続けてもいいと思った。これは少し前まで考えていたような「この仕事以外道はない!絶対にこれがいい!」と高らかに掲げられる気持ちとは質が異なる感情だ。

ぼくは高校野球のスタンド雑観を書いた。本当ならばそのスタンドで応援しているはずだった人の人生の一部を、ほんの少しだけの短い記事にした。それが紙面に載り、翌日、親族の方からお礼の電話をいただいた。
いい供養になった、と。

ぼくの書いた記事が、会ったこともない誰かに感謝された。

さまざまな人の戦争体験を、朗読で伝え続けている人がいる。その人の朗読会の紹介文を書いた。まだ紙面に載るかどうかわからないが、もしぼくの書いたその記事を読んだ誰かが、朗読会に足を運び、戦争の事実や悲惨さを知り平和について考えることができたら、

それは意味のある仕事だと思う。

新聞記者はそういう可能性をもった仕事だ。誰かに何かのきっかけを与えたり、誰かに何かしらの感情を与えたりすることのできる仕事だ。

そういう役割をもった一人の人間として、ぼくは生きていきたい。

あとは、自分にとって大切だと思える人やものに囲まれて生活できればいい。

愛する人、愉快で信頼できる仲間、走ること、食べること、眠ること、考えること、読書、音楽、映画、冒険、挑戦、競争、季節、自然、芸術、真っ白なノート、肌の温もり、古いアルバム、野心、真心、好奇心、茶、珈琲、ウイスキー、畳、エクステリアルウッド、ビーチサンダル、短パン、暖炉、こたつ、せんぷう機、蚊取り線香の匂い、風鈴の音、セミの鳴き声。なんでもいい。

生活をまっとうする。命をまっとうする。そういう生きかたは自分の意識の中だけでは完結できない。だから、自分を取り囲むもの、手が届き触れられるものを、尊重し大切にしていきたい。


「夢」や「使命」はもうちょっと先にとっておいていい。無理に探すものではなくて、外から与えられるものだと思うから。

とは言っても、結局やるべきことや目指すべきものはいままでと変わらない。

このまま進めばいいという安堵感だけ、ようやく手に入れられた。

だから、自分の選んだ未来へ、自信を持って歩いていけばいい。

いまはそれで十分だ。

2010年7月28日水曜日

神宮

すっかり両腕が赤くなった。しかも半袖焼け。

第92回高校野球、西東京大会と東東京大会の取材のため、暑い夏の日差しが容赦なく照りつける神宮球場のスタンドを2日間歩き回った。

スタンド雑観、という神宮の応援スタンドの雰囲気を伝える記事を任された。

雑観に必要なものは、その情景を伝える切り口と物語だということに、必死で歩いた末気づいた。

甲子園出場まであと一勝、という試合を観戦者がどんな思いで、どんな視点で観ているのか。その裏のドラマを発見し伝える。言葉だけ聞くと単純だが、注意深く観察する力、話を引き出す力、その内容からドラマを紡ぎだしつつさらに足りない部分を聞き出す力、取材には粘り強さだけでなく器用に人の話を聞くことが大切だと感じた。そして、これをもっと詰めたら面白い話になりそうだ、と閃けるニュースセンスも求められる。

東東京大会決勝は修徳と関東一。ぼくは修徳側のスタンドを担当し修徳側の思いにたくさん触れたせいか、修徳をいつのまにか応援していた。

だからサヨナラ負けは悔しかった。泣き崩れる選手をみて心がいたんだ。野球に全力をかけていた青年たちがまぶしかった。こんなふうに取材対象へ同調することで書ける記事もあるのだろうと思う。

足を動かして、頭を使って、と記者はなかなか忙しい。

2010年7月13日火曜日

ねじれ





参院選。

再び国会は「ねじれ」た。

7月11日に参院選が行われ、政権・与党民主党は勝敗ラインに定めた54議席を大きく下回る44議席しか獲得できず大敗を喫した。
一方、最大野党自民党は51議席を獲得し改選第1党となった。注目を集めたのは11議席を獲得し躍進したみんなの党。
国会のキャスティングボートを握る存在となった。

参院での与党勢力は過半数を割りこみ、国会は衆院と参院で与野党勢力が逆転する「ねじれ」に。

この状態だけは避けたい。そんな思いで民主に一票を投じたものの、逆風にかき消されてしまったらしい。

昨夏の本格的な政権交代を経て民主党政権が誕生し10ヶ月。
自民の古い政治体質を壊し、新しい政治のうねりを生み出そうと意気揚々に発進した新政権への期待は大きかった。
鳩山政権は、どうも現実離れしているとしか言えないような政権公約を実行しようと躍起になり、
早急な審議や強行採決など手荒な国会運営が目立った。

菅首相に代わり急回復した支持率も、消費税論議を争点に持ち出してからというもの下がり続けてきた。
たしかに財政再建は重要だと思うが、他の問題はどこへ行ってしまったのか。普天間、無駄遣い、公務員制度改革、
「増税の前にやるべきことがある」というみんなの党の主張はまさに民意を捉えていた。

これだけ言うように、いくら民主がだらしないとしても、その尻を叩いてしばらくは働かせるべきだと思っていた。
時代にあった政治のできる政権を育てる、という見方もあっていい。「成果が見えないからすぐ変える」というのは
ほどほどにしておくべきではないか。

と、考えていたものの、蓋を開けてみればこういう見方は少数派だった。

とにかく「ねじれ」によって国会の機能が停滞するようなことはあってはならない。
ここからが大事。福田、麻生政権の二の舞になってはいけない。民主は、連立なり政策ごとの連携なりを他党に呼びかけ、
議論する国会になるよう努力してほしい。

意見の異なる者同士が議論し合い、本当に大切なことを見失うことなく、合意形成を目指す。
どこまでなら妥協できてどこからは譲れないのか、その線を死力を尽くして探りつつ意見をぶつけ合う。

頑固一徹に自分の主張を叫ぶだけではものごとは進まない。

法案査定がしっかりできるという「ねじれ」の良い面も発揮しつつ、確実な国会運営を望む。