2010年3月25日木曜日

中国×チベット あなたとわたし



 1949年、中国人民解放軍がチベットに侵攻して以来チベット族は弾圧を受け続けてきた。そして、ラサ蜂起、ダライラマのインドへの亡命、亡命政府の樹立、その後もデモや動乱がチベット自治区内外でたびたび起きている。チベット族の人々が昔から願い続けることは変わらない。平和と幸せだ。
 人それぞれ価値観が違うように、チベットにはチベットの、中国には中国の考え方や価値観があることを互いに理解しようと努めなければならない。チベットは中国から苦しい弾圧を受け続けながらも、中国との共存の道を探ろうと努力している。「独立」ではなく「中国主権下の高度な自治」への妥協もその表れだろう。次は、中国が歩み寄る番ではないのだろうか。互いの共存に向けて。
 ぼくから見て、村で質素に暮らすチベット族の人々も、町の路地で暇をもてあましながら麻雀やトランプをする中国人も、心にゆとりのある生活をおくっているようだった。そして幸せそうだった。それでいいのでは、と思ってしまう。たとえチベット族がチベット族らしく、自分たちのことを自分たちで決められるようになったところで、路地で麻雀をしたり、川辺でゆっくりとお茶を飲んでいる中国人の幸せが失われるわけではないのだから。庶民の生活で、人それぞれのまっとうな生き方が保障され、ある程度未来が楽しみなものであるならば、国はそれを守ればいい。暮らしの平和や民族の誇りを傷つけてまで何を求めるというのか。
 
 すべての人が共有できる普遍的な価値観は何かと問われれば、もっともそれに近いものは自由と平等だと答えるかもしれない。こういう前提があることを認めたうえで、互いの考え方や思想の違いを理解しようと努力すべきだと思う。すべての人が共有できる普遍的価値観や原則のようなものが無ければ、妥協することが難しくなるのだと思う。
 「あなたもわたしも自由に生きている。そして平等に扱われている。だから、互いの意見がぶつかりあったとしてもそれを尊重しあいましょう。そして、どうしたらあなたもわたしも幸せに生きていけるのか考えましょう」と言えたらいい。
 誰もが自由なのだから、誰もが平等なのだから、それが普遍的価値なのだから、矛盾するこの二つの価値のバランスを誰もが考えなければならない。

 中国もチベットも答えを出してほしい。そのバランスの答えを。丁寧に根気強く話し合いながら。村でも、路地でも、人々が笑って暮らせるように。

中国×チベット 小学校とアイデンティティー


 町には小学校が無い。あるチベット人が語気を強めながらこの問題を語ってくれた。チベットにあるどの町にもチベット族の小学校が無い、つくりたくても中国側から許可が下りず、つくれないのだという。
 町に小学校が無ければ、町で暮らすチベット族の子どもたちはチベット語やチベット文字を学べない。やむを得ず中国人の小学校に入り中国語を学ぶ。すると子どもたちはチベット族でありながらチベット語を話せず、中国語を使って暮らすようになる。町では中国語さえ話せれば生活できるのだ。むしろ中国語がわからなければ仕事を見つけられない。そのため、あえて子どもを中国人の小学校に入れ中国語を学ばせる親も増えているという。チベット語という民族独自の言葉が徐々に失われつつある。
 これらのことが意味するのは、チベット族としてのアイデンティティーの衰退である。言語は、民族がその民族であるということを認識できるもっとも基本的な要素だといえる。もしこれが無くなってしまったら、文化や習慣だけがなんとなく見世物のように残るだけで、民族そのものは形骸化してしまうのではないか。
 こういったことを危惧し、町で暮らすチベット族の家庭ではあえて子どもを村の親戚の家などに住まわせ、村にあるチベット族の小学校に通わせることも多いという。町には大学や師範学校などの高等教育機関が集まっている。またさまざまなビジネスも展開され、文明の発展のエネルギーが生まれる場所だ。チベット族がチベット族としてそういう場所に進出しにくいというこの状況は、中国がチベット族の発展を妨げ自国への同化を促しているように見えた。
 
 

2010年3月24日水曜日

中国×チベット 村と町


 水道やガスのない質素な生活だが、幸せそうに暮らす人々がいる。チベットのアムド地方にある小さな村を訪ねた。石と土でつくられた家が建ち並びその隙間の小道から突如牛が現れたりした。村内はやけに静かで人気がなかった。聞けばいまはちょうど畑に麦の種をまく時期。村の人たちは総出で農作業をしているらしい。見に行くとなるほど、小さな子どもからお年寄り、女性も男性も畑の中にいた。牛と人と機械と、とにかく皆でまだ草も生えない黄色の畑を耕していた。ある男性に近づき挨拶をするとスコップを渡された。少しやってみろとのこと。スコップを地面にさす。粒子が細かく粘土質の黄色の土は予想以上に重く硬かった。どうやら耕すというよりも地面を均すような作業をしていたらしい。
 村はほとんど自給自足。麦と少しの野菜や果実、家畜としてまた労働力としての牛を育てながら生活している。ちなみに牛の糞は乾燥させて燃料としても利用するという。まさに自然と共に生きる人々の姿がそこにあった。村人は皆仲がよく、よく笑い、つつましく、しっかり生きていた。
 チベットの人々は仏教への信仰が厚い。どの家庭にも仏が祀られ、毎朝きれいな水や食物、そして祈りが捧げられる。庭の中ほどには窯が備え付けられ、そこで香草や小麦粉で作ったパンの生地のようなものが焼かれる。一連の宗教的な習慣が毎日欠かすことなく行われ生活の中に溶け込んでいる。チベット族は賢く、いまを生きるのに十分な備えを常に用意しておくという。では何ついて祈るのかと問えば、現在に関しての事柄でなくいつも来世の幸せを祈っている、との答えが返ってくる。チベットの人々の穏やかな暮らしを支えているものは、生活の習慣や民族のアイデンティティーにまで深く根を張るチベット仏教なのだろう。

 そんなチベットらしい村にある変化が起きていた。村を出て、町で暮らす人が増えているという。町には電気や水道はもちろん、暖房機器やシャワーなど快適な暮らしを支えるものがそろっている。そういう現代的な生活もなかなかいいものなのだろう。チベット族がその伝統的な生活を離れ町で暮らすことは当然あっていいと思うし、自然な流れなのかもしれない。現にほとんどの民族がそういう流れを選択してきたのだから。しかし、一見あたりまえのように思えるこの流れにはチベット民族にとってとても深刻な問題が潜んでいた。