2008年7月26日土曜日

学生

何かに向かうことは必要なんだ。あたえられた時間のなかで、その時間がおわったときに、自分はこれをやったと胸を張っていえる何かに。
それがスポーツでも、学問でも、仕事でも、遊びでもいい。純粋な感覚をもってそのものと向き合えれば、自分はたしかな時間を生きたといえるはず。

僕はいつからか、ずっと走り続けている。理由はその時々ちがう。体力をつけるためだったり、運動不足を解消するためだったり、駅伝の襷をつなぐために走っこともある。
今も走ることをやめてはいない。特別な目的はないけど時間があれば走る。好きだからではない(もちろん楽しいと思うときもあるが)。欲求や理想とも違う。
ただ、走っている時は走っている時でしかない。呼吸や足を運ぶリズム、筋肉や脳、心臓の疲労感、肌に感じる気温や湿度。じわりとにじみ出る熱をもった汗。ひたすらに感覚的な事実と向き合っている。今の僕にとっては、そういう時間にこそ「生きている」という感覚を持てるのかもしれない。そして、こういう感覚は何年たっても消えないだろう。

いずれは見つけなければいけない。死んでもいいと思えるような何かを。そういうもののために生きるのだから。
矛盾してるが、僕にはまだ将来について悩める時間がある。学生という立場は特別なんだ。だから何かを残したいんだ。いまに。

2008年7月24日木曜日

机から

自分の机に向かうと、いろいろなことが頭の中を交錯し勉強に集中できなくなる。だから普段はあまり使わないのだが、今日は一日中その机にへばりついていた。やはり勉強はあまりはかどらなかったが、窓の外から聞こえてくる蝉やかえるの鳴き声や遠くの道路で車が通り過ぎる音、時計の針や風に吹かれてゆれるカーテンの音が、この暑さと一緒に肌に染み込んできたような気がする。
ここに座りながめる窓の外の景色は、いつも季節を実感させてくれる。いまは夏だ。空は青い。雲は巨大な塊となり、木草は深い色をもつ。そういった季節の目印は過去の夏まで呼びおこす。
去年のいまごろは何をしていただろう、一昨年は、そのまえの年は、そのまたまえのとしは、、、。夏は毎年来る。だけどいつも違う。来年は、再来年は、今年の夏を思い出すだろうか。
そうしてもらえるような夏をすごしたいものだ。


あと一週間、試験が終われば夏休みがはじまる。

2008年7月5日土曜日

遭難

人間が作り上げた生活環境がいかに快適で安全か、これは山や森などの自然界の中に身を置くことでより強く実感できる。例えば山の中を歩く時、地図や標識以外のもので自分の位置を判断し目指す方向に進める人はどれぐらいいるだろうか。人間の入った痕跡の無い所を一人で進み歩くにはかなりの勇気と知恵が必要だ。

見知らぬ土地に入り、目印や歩きやすい道を見つけながら人々が行き来するその歴史が、現在の地図や道となり、僕たち人間の活動域を広げたのだろう。こんなにも暮らしやすい環境があるのも、そういった先人たちの積み上げてきた文化文明があるからなのかもしれない。

人類は経時的だ。