2010年3月24日水曜日

中国×チベット 村と町


 水道やガスのない質素な生活だが、幸せそうに暮らす人々がいる。チベットのアムド地方にある小さな村を訪ねた。石と土でつくられた家が建ち並びその隙間の小道から突如牛が現れたりした。村内はやけに静かで人気がなかった。聞けばいまはちょうど畑に麦の種をまく時期。村の人たちは総出で農作業をしているらしい。見に行くとなるほど、小さな子どもからお年寄り、女性も男性も畑の中にいた。牛と人と機械と、とにかく皆でまだ草も生えない黄色の畑を耕していた。ある男性に近づき挨拶をするとスコップを渡された。少しやってみろとのこと。スコップを地面にさす。粒子が細かく粘土質の黄色の土は予想以上に重く硬かった。どうやら耕すというよりも地面を均すような作業をしていたらしい。
 村はほとんど自給自足。麦と少しの野菜や果実、家畜としてまた労働力としての牛を育てながら生活している。ちなみに牛の糞は乾燥させて燃料としても利用するという。まさに自然と共に生きる人々の姿がそこにあった。村人は皆仲がよく、よく笑い、つつましく、しっかり生きていた。
 チベットの人々は仏教への信仰が厚い。どの家庭にも仏が祀られ、毎朝きれいな水や食物、そして祈りが捧げられる。庭の中ほどには窯が備え付けられ、そこで香草や小麦粉で作ったパンの生地のようなものが焼かれる。一連の宗教的な習慣が毎日欠かすことなく行われ生活の中に溶け込んでいる。チベット族は賢く、いまを生きるのに十分な備えを常に用意しておくという。では何ついて祈るのかと問えば、現在に関しての事柄でなくいつも来世の幸せを祈っている、との答えが返ってくる。チベットの人々の穏やかな暮らしを支えているものは、生活の習慣や民族のアイデンティティーにまで深く根を張るチベット仏教なのだろう。

 そんなチベットらしい村にある変化が起きていた。村を出て、町で暮らす人が増えているという。町には電気や水道はもちろん、暖房機器やシャワーなど快適な暮らしを支えるものがそろっている。そういう現代的な生活もなかなかいいものなのだろう。チベット族がその伝統的な生活を離れ町で暮らすことは当然あっていいと思うし、自然な流れなのかもしれない。現にほとんどの民族がそういう流れを選択してきたのだから。しかし、一見あたりまえのように思えるこの流れにはチベット民族にとってとても深刻な問題が潜んでいた。

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